★Sevres(cit de la cramique)★ フランスが誇るセーブル窯はポンパドール婦人の助力もあって、王立窯として発展を遂げました。1759年、王立セーブル製陶所となり、今もフランスの文化と美を伝える優れた陶磁器を生み出し続ける国立セーブル製陶所の歴史はここに始まります。セーブルの功績は、国家的使命ともいえるフランス独自の意匠を確立し、完成度の高い芸術作品を作り続けてきたことにあります。18世紀、セーブルは東洋芸術の様式をうけつぎながらも、当代一流の化学者、画家、彫刻家、金工家の参加によって独自の世界を創造しました。「王者の青」「ローズ・ポンパドール」と呼ばれるセーブルの色、華美で鮮麗な装飾、独特の風合を持つソフトペーストなど、他の追随を許さないセーブル芸術が、宮廷文化の中に華開いたのです。盛名を馳せたセーブルも、国窯という背景から生産は非常に限定され、世の人々の目に触れることは少なく、「希少な陶磁器」と呼ばれました。今日に至っても、生産量は年間約6000ピースと限定され、そのほとんどがフランス国家のために作られます。この少量生産は、「最高の作品を作り出す」ための必然であり、その稀少性ゆえに、誇り高きセーブルの名声は一段と高まっています。
フランス国立セーブル陶磁器製作所工房で創作活動をするビスキュイ作家、陶芸家。
ビスケット・白磁置物
【この作品は1882~1884年にセーブル工房で改良認可されたPN(ヌーベルペースト)によって制作されています】
この作品の白色磁器(ビスケット)は十八世紀から続く型取り・修復作業アトリエで制作されました。ここではセーブル陶磁器製作所の白色磁器や彫刻類(丸彫り、浅浮き彫り)、ビスケットという意図的に釉薬をかけない白色磁器の作品が1751年及び1752年から制作されています。
作品にはセーブル工房のロゴと制作年度が刻印され、作家のサインが彫り込まれています。
セーブル工房の「ビスケット」という呼び方は、1751年以来の模様も釉薬もないセーブル工房の陶磁器彫刻のことを指す。この呼び名は白い大理石の無垢な冷ややかさを喚起させると同時に、マイセンの彩色された彫刻作品と区別する為に積極的に取り入れられました。
☆Pate dure nouvelle(ou PN)☆
ヌーベルペースト(新硬質磁器:PN):基本素材はカオリン、長石、水晶(これらの素材は1882~1884年にセーブル工房で開発された)で、PNはこれらの素材を1280℃~1300℃で焼く。
★Ytiga Noumata(沼田一雅)★ 1903年に外国人として国立セーブル陶磁器製作所で働くことを許された最初の日本人です。2年間国立セーブル陶磁器製作所で働いた沼田は、生地を石膏の型に入れて成型するという西洋の方法を日本に伝えました。1904年から1927年にかけての制作が有名。彼は1914年から1919年及び1922年から1927年にかけてセーブル陶磁器製作所で彫刻塑像や彩色の制作をしました。
(国立セーブル陶磁器美術館・国立セーブル陶磁器製作所アーカイヴズの資料より引用)
【経歴】 日本陶彫の父であり日本陶彫会の創始者・初代会長
■(本名 沼田勇次郎)明治6年福井松平藩祐筆の生まれ(福井市木田新町)
■東京美術学校教授 竹内久一に師事
■明治36年(1903):フランスセーヴル国立陶磁器製造所入所(30歳)
■明治38年(1905):ロダンに師事
■明治39年(1906):帰国 東京美術学校雇員(33歳)
■明治39年(1906):帰国 東京美術学校雇員(33歳)農商務省工業試験所陶磁器部嘱託
■明治43年(1910):フランス政府から芸術賞授与
■大正10年(1921):フランスセーヴル国立陶磁器製造所入所
■昭和2年(1927):フランス政府から勲章授与
■昭和8年(1933):東京美術学校教授退官 正四位勲四等 授与(60歳)
■昭和12年(1937):京都高等工芸学校講師(64歳)商工省陶磁器試験場嘱託
■昭和25年(1950):3月、陶磁研究所所長辞任、帰京(77歳)
■昭和26年(1951):3月10日、日本陶彫協会創立準備会会長 沼田一雅(78歳)
■昭和29年(1954):5月27日、沼田一雅 第10回日本芸術院恩賜賞
(日本陶彫会の歩みより引用)
★Sevres(cit de la cramique)★ フランスが誇るセーブル窯はポンパドール婦人の助力もあって、王立窯として発展を遂げました。1759年、王立セーブル製陶所となり、今もフランスの文化と美を伝える優れた陶磁器を生み出し続ける国立セーブル製陶所の歴史はここに始まります。セーブルの功績は、国家的使命ともいえるフランス独自の意匠を確立し、完成度の高い芸術作品を作り続けてきたことにあります。18世紀、セーブルは東洋芸術の様式をうけつぎながらも、当代一流の化学者、画家、彫刻家、金工家の参加によって独自の世界を創造しました。「王者の青」「ローズ・ポンパドール」と呼ばれるセーブルの色、華美で鮮麗な装飾、独特の風合を持つソフトペーストなど、他の追随を許さないセーブル芸術が、宮廷文化の中に華開いたのです。盛名を馳せたセーブルも、国窯という背景から生産は非常に限定され、世の人々の目に触れることは少なく、「希少な陶磁器」と呼ばれました。今日に至っても、生産量は年間約6000ピースと限定され、そのほとんどがフランス国家のために作られます。この少量生産は、「最高の作品を作り出す」ための必然であり、その稀少性ゆえに、誇り高きセーブルの名声は一段と高まっています。
セーブル フィギュリン 超希少 白磁置物